明治41年1月26日 地元の釧路新聞へ記者として着任しました。
1月から3月までの76日間 釧路にいましたが、生まれが東北 岩手県でも
北海道のいちばん寒いちょうどこの時期はダウンパーカーや高断熱住宅も
ない時代 寒さもこたえたと思います。詠まれた歌も釧路についていきなり
さいはての 駅におりたち 雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき
こんな感じですからそうとうのカルチャーショックがあったようです。
76日間 そこそこ仕事はしていたようですが、夜な夜な料亭がよいをして、
実は妻がいるのに芸者さんとラブロマンスがあり。それをなんと引き裂かれ、
そうとうへこんでいたのが想像できます。
その後東京へ行き 名作「一握の砂」を刊行しますが、2年後に27歳の若さで
この世を去りました。
「一握の砂」も釧路時代のへこんだ自分を思い出して歌の糧になったのではないか
なんて考えてます。
あなたのまわりにも啄木のような人いませんか?
写真の建物は「港文館」当時の釧路新聞社を復元してます。中には啄木ゆかり
のものや喫茶コーナーもあります。
となりに啄木の銅像があります。 寒そうです。
<moyan>
# by trlkushiro | 2007-02-10 12:27 | えとせとら