中途半端な昔が好き 5月20日

作者は実兄ですがいちおう著作権があるので・・・聞いてみた。
「しょうがねーなー もう。」と快諾をいただきましたw
私、兄弟ですがこんな細かいの絶対無理。
よく風景画を見て「写真のようだね。」と言うものがあるけど、
それなら写真を撮ってしまえばいいのに・・と 私は思うのです。
でもね、絵には絵の味わい深い良さがあるんですよ。
この昭和30年当時はイラストにある火の見やぐらより高い建物はなく
カモメが見たらこんなふうだっただろうなという目線で書いたらしい。
この当時の釧路市の人口は12万人あまり、毎年数千人の規模で人口が
増加してたそうです。
描かれている幣舞橋は4代目で昭和20年7月の釧路空襲の際に
南側の親柱が破壊されなくなり、イラストも手前側の親柱は描かれているのに
ロータリー側は親柱が無いところまで書いてるぞ。
漁船がいっぱい停泊してますが釧路川河口とはいえ漁港です(現在も)
海がシケたりすると船が両岸にびっしり重なって停泊していました。
この幣舞橋周辺は日本銀行や産業会館、現在まなぼっとが建っているあたりに
市役所とか警察署があり釧路の経済の中心地だったそうです。
映画「挽歌」ではこの頃に近い釧路を見ることができます。
新旧の作品がありますが、当然古いほう久我美子さん・高峰三枝子さんの
ほうです。

もう見られなくなってしまいました。
現在フィッシャーマンズワーフが建っているところには魚揚場があって
2階以上は水産ホテルというものがあったと記憶してます。
「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」は釧路が舞台でした。
昭和59年の作品で、幣舞橋周辺でロケが行われてまだフィッシャー
マンズワーフが出来る前の風景が写ってますよ。

先日このロータリーにエゾシカが5頭ほどいましたね・・田舎だなあ。
釧路の経済的には北大通には銀行や市役所があって、今も中心地なんだけど
商業的には広い駐車場のある郊外店舗にお客さんが流れて大苦戦中。
その昔はバスに乗って十字街で降りてデパートに行くのが楽しみだったんです。
(屋上の遊技場や大食堂が目あてだったかも)
それが一家に1台自家用車が行き渡りつつある頃、50万円を切る軽自動車が
出始めたあたりから様相が変わってきました。

あっ・・都会とくらべてはいけません。
日本ハムファイターズが優勝しても橋からダイブする人はいませんから。

油断禁物。
幣舞橋周辺の末広界隈もぼちぼち営業を再開するお店も増えてきそうです。
早く普通の状態にもどってほしいですね。
<moyan>
イラストすごいでしょ!
他にも釧路に関するイラスト描いてるらしい。
今 書いてるのはキャバレーだって
チャイナドレスのお姉さん←おばさんだったかも(暗くてわかんないのさ)
よく末広に居たっけ
「ここ」にもときめくものがあるかな?
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by trlkushiro | 2020-05-19 13:37 | えとせとら | Comments(2)

懐かしいイラストを見て思わず書き込みました。
幼少の頃、良く渡った幣舞橋、突き当りには出世坂で、右側の道路はは未だ拡張されていないえです。この頃坂の途中の左側に釧路市警察署がありましたねー、その向かいの大きな建物が釧路市役所かな?記憶がはっきりしません。
手前の火の見櫓の右隣に魚揚げ市場がありましたねー。
懐かしいイラストをありがとうです。
昭和30年 急ピッチで戦後復興の頃でしょうか。
釧路もどんどん発展していったころかな?
きっと未来が見えていたのでしょうね。
私は昭和33年生まれなので、あまり記憶がないの
ですが、母親の実家が南大通のタバコ屋さん
だったのでよく連れられて歩いたと思います。
記憶にあるのは南映や国際劇場でよく
怪獣映画を観たっけ。
よしのやさんのおやきや夏になると
かき氷が懐かしいです。
<moyan>