あ~懐かしのくしろデパート 6月6日
肌寒い日がつづいた釧路もようやく気温も平年並みに戻って爽やかな一日となりました。
青い空と白い雲、新緑の緑はこの時期ならではです。
歩道の植え込みに多いエゾムラサキツツジも街にいろどりを添えています。
釧路駅から幣舞橋へ延びる北大通(きたおおどおり・・ほくだい通りではありません)
昭和30年ころからは釧路も活気にあふれて、この通りも様々なお店や百貨店があり
人通りの絶えない釧路のメーンストリートだったのです・・・・が!
時代の流れか郊外型の大型ショッピングセンターの出現による核店舗の撤退で
面影がなくなりました。
道路の向こう側に見えるくしろデパート周辺の一角も再開発で取り壊しが始りました。
かつては釧路も丸三鶴屋とかオリエンタルデパートそしてくしろデパート、衣料品が
主体のオクノデパートなどがありました。
釧路市民には老舗の丸三鶴屋がなんといってもなじみ深くて、私も子供のときは
「街に行くよ。」と言われると途中のカン蹴りもほったらかして連れられて行ったもの
です。
丸三鶴屋の玄関前にはゴム長靴を洗う桶とブラシがあったっけ。(春先は大活躍)
買い物には何の興味がなくて大食堂が唯一の楽しみだったなあ。
後発の釧路デパートが出来ると楽しみが増えました。
最上階のゲームコーナーです。
1回30円で車のハンドルさばきを身につけました。
的当てではライフル型の空気銃でスナイパーの腕もみがきました。
観覧車があったようですが、あんなの女の子が乗る物と信じていて記憶にございません。
(本当は恐かったかも・・・・)
4階か5階にあったペットコーナーも楽しみでした。(親戚だったのです)
当時ブームだった熱帯魚や今ではお祭りの縁日にあるミドリガメに興味深々です。
となりにあったレコード楽器屋さんでオカリナ買ってもらったっけ。(何吹いてたんだろ?)
丸三鶴屋はちょっといいとこの感があるのでくしろデパートあたりが居心地が良かったかな。
働いてお給料がもらえる頃、ちょっとしたサーファーがブームになっていて
くしろデパートには五番街というお店が入っていました。
みんな五番街の紙袋ぶらさげてましたね。
その当時、釧路のお店にしては妙にあかぬけていてサーファーファッションがまぶしく
見えたものです。
調子に乗ることはあっても波に乗ることはない・・・でも椰子の木プリントの服着てたなあ。
そんないろいろな思い出のあるくしろデパートも閉店して長い間吹きさらし状態が続き
ましたがいよいよ本当に幕を閉じる日が近づいてきました。
再開発は広範囲に行われ、ブルーシャポーのあった足立ビルさんとかマルカツビル
教科書ついでに教科書ガイドを買いに行った山下書店やマルタミボンドさんなども
なくなってしまいます。
土曜日曜は人でいっぱいだったころを思い出すとちょっと寂しい感が漂います。
ミシュランガイドでビブグルマンをいただいた北大通東家さんはそのまま残るそうです。
最近は蕎麦屋で一献(びっくりするお酒たくさんあります)する人も増えて忙しいようですね。
表側からは見えない解体作業。
もうすでに跡形もなくなくなっている建物もあります。
北大通界隈の写真も何十年も経つと「あ~そういえば こんなのあったなあ。」と
いうことで撮っておきます。(スガイビルのときに後悔しました。)
かつては釧路で一番地価の高かった場所です。
このへんからバスに乗った人も多かったでしょうね。
今でもバス路線では重要な道路です。バスのデザインも時代と共に変わっていくので
あえてバス入りの写真でした。
つい先ごろオープンした「なつかし館 蔵」。
その昔は日本交通公社のあったか上林ビル、現在は北大通ローソンの裏に
あります。ここでは北大通りが隆盛のころの街並み写真があってノスタルジーに
浸れますよ。(観覧のみは観覧料がかかります。食事をすると無料だったかな?)
この「なつかし館」の向かい(かつて中田電気→YESそうご電気)の跡地に道銀ビル
(釧路市図書館が入る予定)の建設中でこのあたりの景色も近々変わっていくでしょう。
<moyan>
地元の人にしかわからない記事でしたね。
とりあえず記録ということで興味のない人はスルーしてください。
あっ 「ここ」はスルーしないでねっ。
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by trlkushiro | 2016-06-06 21:20 | えとせとら | Comments(0)