あの頃の話は尽きないもの。 11月10日

冷たい雨がシトシト降る釧路です。
いつ雪がふってもおかしくはないのですけど、雪ではないのがせめてもの救いです。
雪が降るとスリップ事故も気をつけなきゃならないしね。
写真は雪道にはまったく似合わないトヨタ2000GT、あの「007シリーズ」にも登場
しました。
さて、11月7日の土曜日から「起終点駅・ターミナル」が全国で封切られていますね。
ご存知と通り釧路が舞台となっています。
このブログの検索キーワードでも数日前から映画がらみでいっぱいとなっています。
派手なアクションや衝撃の結末、そういう映画ではなくて地味~な人間心理が
釧路の風土にマッチしてる・・・・そういった映画かな?と思います。
明日はお休みをいただいているので観てきますよ!
映画館で映画を観るのは何十年ぶりだろう。
今日は釧路のちょっと昔の話を懐かしい車の写真とともにごらんください。

1964年発売のコロナ(通称 出っ歯のコロナと言われています)
2000GTとはえらい違いのボテっとしたスタイルでしたが、これが我家の第1号車
でした。(おまけに色はねずみ色)
子供心には真っ赤なマッハGOGOGOの様な車が良かったのに・・・(現実的ではない)
それでもあちこちドライブに連れて行ってもらいました。

高校生のころは混んでいるバスがきらいだったので氷点下20度近いときも徒歩通学
でした。(学校に着いたころには自分のはいた息で髪の毛が凍って白くなってます)
帰りはちょっと遠回りでも繁華街を通って帰るのがおきまりでした。
夕方はちょっとおなかが空くので大島まんじゅう店で肉まんもよく食べましたよ。
お店のテーブルにはウスターソースが置いてあって、肉まん(ぶたまん)なのに
そのソースをかけて食べました。(ほとんどの人がそうですよね)
ケンミンショーのスタッフが知ったら釧路ではぶたまんにソースをかけるのが定番と
飛んできそうです。
お茶はポットに入っていて飲み放題なのです。
写真のいなり小路の奥のほうには笛園ビルが見えてますね。
ここも思い出がいっぱい。

喫茶店のほうは大衆向けなので「モカソフト食べ放題」以外の日は行かなかったような
ビルの2階か3階あたりに「とん喜」があって、そこの「びっくりとんかつ」はよく食べました。
その当時はへっちゃらで食べましたけど、今だとその大きさにびっくりぽんですよ。
今も「びっくりとんかつ」やっているのかなあ。

北大通9丁目あたりから釧路駅方向を写した写真ですね。
駅前には喫茶ローリエがあって(パチンコ チャンピオンの2階)
そこでも「パフェ 食べ放題」がありました・・・ここもよく行ったなあ。
喫茶店めぐりはどちらかというと、外がよく見えるところが好きでした。
友達と(残念だけど男友達)2階の窓側からヒューマンウォッチングです。
土曜日の午後なんかはコーヒー1杯で延々と・・・・・。
「あ~ 〇〇ちゃん あんな野郎といっしょに歩いてる~!」てな具合です。

てんとうむしと呼ばれたスバル360発売されてから数年たって軽自動車が躍進してきました。
ホンダN360やスズキフロンテ、ダイハツフェローとかマツダキャロルなんていうのも
ありましたね。
街にはどんどん車が増えてきました。
釧路もこの頃は景気がよかったですからね、漁業は最盛期で石炭も絶好調でした。

左は丸三鶴屋のとなりにあったマルヤマ時計店でさばいた宝くじから1等が
出たようですね、
1等2000万円・・・・・今じゃ1等5億円だったっけ。(縁のない話です)
右は北大通り9丁目あたりから幣舞橋方向を写した写真ですね。
右側に写っている車は三菱ランサーバン。
世界を制覇したラリーカーはライトバンでも大活躍したようです。
道路向かいには中田スポーツ館、そのとなりには国原楽器店がありました。
レコード屋さんは他にもミサキレコードやオリエンタルデパート(現 オリエンタルプラザ)
に山本楽器店やくしろデパートにもありました。
お年玉はほとんどレコード代に消え、友達に貸したり借りたり・・・・
貸したものは帰ってこないけど、なぜか今でも借りてたものがあるぞ・・・・なんで?

この当時、車のオーディオは8トラデッキからカセットデッキに移り変わりました。
レコードはカセットテープにダビングされて快適なドライブに一役かいましたね。
高中正義「ブルー・ラグーン」聞いてましたか?イーグルス「ホテルカルフォルニア」かな?
テープが終わると自動的に反転するオートリバース機能は便利でしたが
いつも同じテープを聴いていると飽きてしまうものです。
ラジオの選局ボタンはけっこう力強く押さないと動いてくれませんでしたね。

その昔、土曜日曜は人があふれていた北大通りも銀行がお休みの日は人通りも
少なくちょっと寂しくなりますね。
あのころは良かった・・・・なんて思うのはすっかり歳だっちゅーことですね。
<moyan>
地元の人しか理解できない記事でしたね。
それも、それなりな人しかわかんないだろうなぁ。
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by trlkushiro | 2015-11-10 16:49 | えとせとら | Comments(8)
胸キュンですよ、今朝は。
いなり小路の奥に「おかめ」ラーメンがあって・・。
哀愁のあるギターとギターのからみが秀逸でした!
あまりにも完成されたアルバムだったので
イーグルスもその後は大変だったとか。
井上陽水の「氷の世界」もそんなかんじ?
おかめラーメンありましたね。
古い住宅地図を見ていたら「ばってん」というのも
末広にありましたけど
ここもたしかラーメン屋さんだった気がします。
<moyan>

年代なんですね(笑)
夕方の時間帯は高校生でいっぱいでしたね。
あんまんの中のあんこはアツアツで
火傷しそうになりましたね。
70年代80年代の曲を聴くと
今でも、その頃の思い出がよみがえります。
昔はよかった・・・いやいや今も音楽はいいものです。
会社の帰るころは
HBCラジオで「バン・バン・レディオ!」やっていて
ちょうど良い古めの曲で癒されながら帰ってるんですよ。
<moyan>
子供の頃、釧路に住んでいたのですごく懐かしかったです。
引っ越してから一度も行ったことがないので、
古い街の写真はいっそう懐かしく、記憶をたどりました。
大島饅頭も大好きで、よく食べました。
釧路は、映画の舞台になること多いですね。
私が住んでいた時は、原田康子さんの「挽歌」が映画化され
撮影場所が近かったので見に行ったことがあります。
「挽歌」は映画で観ました。この映画も
幣舞橋周辺が多かったようなきがします。
撮影された時期は私も「おぎゃー」と生まれたころで
今となっては記憶も定かではないのですが・・・・。
現在「まなぼっと」があるあたりに公民館があって
そのあたりから釧路市内の景色が写ってました。
最近は言わないようだけど現在の富士見町や
浦見町あたりは「山の上」という言い方をしていました。
釧路警察署や市立病院もありましたね。
なにげなく撮った写真も後々になって貴重なものに
なることもあります。
クルマもモデルチェンジがよくあるので
ちょっと昔のクルマが妙になつかしく感じるもの
なんですよ。
そういうわけでいつ日の目をみるのかわからない
写真がいっぱいです・・・いつ出るのかなあ。
このシリーズまたいつかやってみます。
<moyan>
見てください、楽しみに待っています。
それにしても今回の様に長期(約10日間?)
にわたりコメントが続くのも珍しいのでは。
つまり、ノスタルジックというか釧路を離れて
もファンは見ているこのコーナー・・・。
映画「挽歌」は初代がやはり文化を感じさせ、
機会があったらまたレトロシリーズを・・ねっ!
「昔は釧路に住んでいたんですよ。」という
お客さんもけっこういるのです。
びっくりするのは釧路町(昔のセチリ太)や
昭和のイオン近辺(昔は雄別鉄道の線路)など
反対に北大通の衰退ぶりにも驚かれていました。
日曜日ともなると人があふれていた街が
なつかしいですね。
パート2 ひねりだしてみます。
<moyan>