石川啄木がいた釧路 1月20日

ちょっとは緩んだものの相変わらず寒い釧路です。
明日は「SL冬の湿原号」がスタートしてレトロな釧路を演出してくれます。
そしてもうひとつ、石川啄木が明治41年1月21日に釧路へやって来た日で啄木と
ゆかりのある南大通り(みなみおおどおり)や大町周辺で「雪あかりの街」が開催され
ます。

石川啄木は岩手県出身で東京で仕事してましたが、何をやっても長続きしない性格
だったらしく困窮の末北海道に渡ってきました。函館とか小樽にいましたがこれまた
職をすぐさま辞めて釧路に渡ってきたのが1月21日です。
釧路新聞社に勤めてまだ若いのに編集長格に抜擢されました。
さすがは天才歌人ですね。
下の写真は当時の釧路新聞社で啄木の資料が展示している「港文館」は復元された
ものです。場所は現在地よりもやや南大通りよりの北海シェル石油さんのガソリン
スタンドの場所です。

しかし、釧路へ来てもやっぱり仕事はあんまりうまく行かず、夜な夜な料亭にくりだし
酒に肴に(やっぱりおいしいお酒とおいしい魚、昔からグルメの街だったんだ)
そうくればやっぱり釧路美人も登場して啄木はプレイボーイぶりを発揮したようですが
健全な人はマネをしてはいけません。
こういうことは国語の教科書にはのせられませんね。

こんな貧弱な暖房設備じゃ極寒は耐えられず?
やがて釧路を去っていきました。

今年は石川啄木 没後100年ということで記念の年でもあります。
全国には啄木の歌碑が134もあってそのうち釧路市内には26もの歌碑があるのです。
その大部分は米町や南大通り周辺にあります。
<moyan>
全国的に人気のある人なんですが釧路人は
啄木が釧路にいたことをあんまり言わないのはなぜなんだろう?
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by trlkushiro | 2012-01-20 20:02 | えとせとら | Comments(2)

多岐にわたりいつも的確なmoyanさんコメント。
楽しく読んではポチですが
今日はまた、格別文化の薫り漂う名文構成。
セピア色に染まるの当時の資料にさそわれて
大町界隈、歩いてみようかな。
ダルビッシュの七色の変化球のように色々おりまぜています。
今日はあまり得意なジャンルではないので
釧路検定のテキストなども見ての投稿でした。
米町・大町・南大通あの界隈は新しい家が建っても
みんなレトロっぽくみえるのは私だけでしょうか?。
<moyan>